走る禅

twitterの延長線上。

なぜヒトが存在するに至ったのか

進化論は現在の科学においては主流である。

これはご存知の通り、種が遺伝子に支配され、遺伝子が世代、個体ごとにわずかに変わり、環境に適応しやすいものが生き残ってきたとする説である。

1世代で淘汰される例としては性的興奮を覚えない遺伝子を持つ個体が生まれたとすると、その個体は次の世代を残さずに即座に淘汰されるというものが考えられる。

ここで注意したいのが、遺伝子の突然変異は得意なことではなく常に起こり続けているということである。

 

進化論が認められるとするならば、人間とは非常に奇怪な進化を遂げていると言える。つまり脳である。手が使えるようになり、脳が発達したとするストーリーが語られているが、私はそうは思わない。

 

同種の個体間ではなく、種ごとの淘汰を考えると、そこには強制と食物連鎖の関係がある。ここでは食物連鎖に着目する。過去の食物連鎖の頂点に立つものは消費エネルギー量が多い種が頂点をしめているという仮定を主張する。

ケーススタディではあるが、体の大きい、つまり消費エネルギーの多い種が安泰な立場にあり、さらに消費エネルギーの多い種が現れると淘汰されている。

人間の場合、火を使いこなした瞬間に爆発的に消費エネルギーが増加し後の追随を許さない盤石の地位を確立した。

この過程と進化論を合わせると、エネルギー消費が多いように生物は進化を進めていくのではないだろうか?と考えられる。

ここで生物の定義は、自己増殖が可能で外界との境界があり、単一個体で個体を維持できるものをいう。つまり、AIを持つロボットにロボット工場の管理を任せた場合には生物とみなすことができるかもしれない。

そして、今、シンギュラリティが起こると人が機械に淘汰されると言われている。この時とは、私はエネルギー消費総量が人間を超えた時ではないかと考えている。

 

と、今食物連鎖から進化論が提示する遺伝子の進んでいく方向性を示してみた。

 

それが正しいとすると、人間はもっと個体を増やし、一人一人の消費エネルギーを増やすことが求められる?人間の限界とは、、?

核戦争による世界の破壊なのではないかと考えている。

それが遺伝子の望むところであり核戦争は避けられないことは人間の習性と歴史が物語っているところである。

 

ではなぜ地球を破壊することを望んでいるのか?

誰が?我々の世界をメタ的に捉えている超越的な存在が。。

 

地球は人間が観測できる世界でもっともエネルギー密度が高い場所と言われている。

これと遺伝子、いや、超越的な何かの意思であるエネルギーを消費する効率を向上させようとしていることを合わせて考えると、4次元世界全体のエントロピーを増大させる方向へと移すために進化が起こり、その過程でヒトが存在するに至ったのではないだろうか。。。

 

「エネルギーを消費しエントロピーを増大させることが生物(ヒト)の意義である」

こう考えると、生物の定義から生物内部ではエントロピーが自然の法則に反して減少する謎も腑に落ちるのである。つまり生物という自然法則に反するものが逆説的に自然法則を加速されるのである。

 

これが今私の考えている人の存在意義である。もちろん仮説はいくらでも量産可能であり、あくまでその一つであるが、私の価値観に刻みこまれてしまった。

 

そして、これは厭世観でもある。この説を死生観に応用すると絶望が待っているからである。

エネルギーを消費しエントロピーを増大させることが生物(ヒト)の意義であることは先ほど述べた。つまり個体が死んでし前歯なんの価値も残らないということを意味しているのである。個体の死が別個体に影響を与えて悲しみの感情がエネルギーとして消化されることが最後の喜びである。忘れられたら最後、その個体が世界に意義を残すことはない。名声や何か作品を残し、別個体に影響を与えたいという(遺伝子による)本能的欲求があるのはそのような理由からであろうか。

 

日々の生活に関係ないことを考えている時間が幸せだなぁ。