走る禅

twitterの延長線上。

AtCoderでよく使うテンプレまとめ(Python3)

よく使いそうなものをいろんな解法から集めていきたい。

入力まとめ

標準入力はinput関数(str型で入力される)。

複数列の整数の標準入力を複数の変数に格納
a,b=map(int,input().split())
リストに整数を格納
a=list(map(int,input().split()))
入力行数(row=5)が指定され、リストに整数を格納
row=int(input()) 
a=[int(input()) for i in range(Row)]
整数を二次元リストに格納
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10
11 12 13 14 15

List=[list(map(int,input().split())) for i in range(3)]
print(List)
[[1, 2, 3, 4, 5], [6, 7, 8, 9, 10], [11, 12, 13, 14, 15]]

出力まとめ

変数or整数の出力はprint(変数名or整数)で出力。
print関数の区切り文字はprint(出力データ,sep="区切り文字")で指定。指定しない場合は半角スペース。
print関数の末尾の文字はprint(出力データ,end="末尾の文字")で指定。指定しない場合は改行。

listをスペース区切りで表示
list=[1,2,3,4]
print(*list)
1 2 3 4
1次元リストのインデックス指定して各要素を出力
list=[1,2,3,4]
for i in range(len(list)):
    print(list[i])
1
2
3
4

使いそうなTipsまとめ

階乗
import math
print(math.factorial(4))
24
最小公倍数、最大公約数
import fractions
a,b=map(int, input().split())
f=fractions.gcd(a,b)
f2=a*b//f

おすすめ本(マラソン)

 

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なぜヒトが存在するに至ったのか

進化論は現在の科学においては主流である。

これはご存知の通り、種が遺伝子に支配され、遺伝子が世代、個体ごとにわずかに変わり、環境に適応しやすいものが生き残ってきたとする説である。

1世代で淘汰される例としては性的興奮を覚えない遺伝子を持つ個体が生まれたとすると、その個体は次の世代を残さずに即座に淘汰されるというものが考えられる。

ここで注意したいのが、遺伝子の突然変異は得意なことではなく常に起こり続けているということである。

 

進化論が認められるとするならば、人間とは非常に奇怪な進化を遂げていると言える。つまり脳である。手が使えるようになり、脳が発達したとするストーリーが語られているが、私はそうは思わない。

 

同種の個体間ではなく、種ごとの淘汰を考えると、そこには強制と食物連鎖の関係がある。ここでは食物連鎖に着目する。過去の食物連鎖の頂点に立つものは消費エネルギー量が多い種が頂点をしめているという仮定を主張する。

ケーススタディではあるが、体の大きい、つまり消費エネルギーの多い種が安泰な立場にあり、さらに消費エネルギーの多い種が現れると淘汰されている。

人間の場合、火を使いこなした瞬間に爆発的に消費エネルギーが増加し後の追随を許さない盤石の地位を確立した。

この過程と進化論を合わせると、エネルギー消費が多いように生物は進化を進めていくのではないだろうか?と考えられる。

ここで生物の定義は、自己増殖が可能で外界との境界があり、単一個体で個体を維持できるものをいう。つまり、AIを持つロボットにロボット工場の管理を任せた場合には生物とみなすことができるかもしれない。

そして、今、シンギュラリティが起こると人が機械に淘汰されると言われている。この時とは、私はエネルギー消費総量が人間を超えた時ではないかと考えている。

 

と、今食物連鎖から進化論が提示する遺伝子の進んでいく方向性を示してみた。

 

それが正しいとすると、人間はもっと個体を増やし、一人一人の消費エネルギーを増やすことが求められる?人間の限界とは、、?

核戦争による世界の破壊なのではないかと考えている。

それが遺伝子の望むところであり核戦争は避けられないことは人間の習性と歴史が物語っているところである。

 

ではなぜ地球を破壊することを望んでいるのか?

誰が?我々の世界をメタ的に捉えている超越的な存在が。。

 

地球は人間が観測できる世界でもっともエネルギー密度が高い場所と言われている。

これと遺伝子、いや、超越的な何かの意思であるエネルギーを消費する効率を向上させようとしていることを合わせて考えると、4次元世界全体のエントロピーを増大させる方向へと移すために進化が起こり、その過程でヒトが存在するに至ったのではないだろうか。。。

 

「エネルギーを消費しエントロピーを増大させることが生物(ヒト)の意義である」

こう考えると、生物の定義から生物内部ではエントロピーが自然の法則に反して減少する謎も腑に落ちるのである。つまり生物という自然法則に反するものが逆説的に自然法則を加速されるのである。

 

これが今私の考えている人の存在意義である。もちろん仮説はいくらでも量産可能であり、あくまでその一つであるが、私の価値観に刻みこまれてしまった。

 

そして、これは厭世観でもある。この説を死生観に応用すると絶望が待っているからである。

エネルギーを消費しエントロピーを増大させることが生物(ヒト)の意義であることは先ほど述べた。つまり個体が死んでし前歯なんの価値も残らないということを意味しているのである。個体の死が別個体に影響を与えて悲しみの感情がエネルギーとして消化されることが最後の喜びである。忘れられたら最後、その個体が世界に意義を残すことはない。名声や何か作品を残し、別個体に影響を与えたいという(遺伝子による)本能的欲求があるのはそのような理由からであろうか。

 

日々の生活に関係ないことを考えている時間が幸せだなぁ。

 

「走ること」の価値観とその変遷

私の長距離歴は長く、幼稚園の年長の時に市民マラソンの1.5kmの部を走ったことがきっかけです。その後は小学生ではマラソン大会で常勝していました。中学生の頃は、サッカー部に所属しながら運動会やマラソン大会では陸上部と張り合っていました。そんな時代があったから井の中の蛙でありながら走ることに関しては自信を持っていました。高校からは陸上部に入り、走っていないときもずっと陸上のために生きているような、恋人のような感覚で現在までの9年ほど、走ることに向き合ってきました。

 

と、このように私の人生の傍にはずっと走ることがあり、そこから様々なこと(没頭することや環境の大切さ、愛について笑、、など)を学んできました。

 

成長とともに知識が増え、価値観の変遷を楽しみながら、ときに愛し、ときに対立しながらもこれまでずっと継続してきました。

 

なぜこんなにも魅了されてしまったのか?まだ答えは見つからないですし、死ぬまで見つからないと思います。それは走ることはあまりにも考慮すべきパラメタが多く、一意な価値観を持ち得ないからです。なので、苦肉の策としてある側面を切って考えるという戦略を取らざるを得ないのが人間の脳、ひいては論理と呼ばれるものの限界です。

大きな要因をあげるならば、きついのにまた走りたいと思わせる「何か」の存在と、走っている途中のランナーズハイと呼ばれる、走る行為そのものが生み出す脳へのポジティブな反応の2つでしょうか。

 

ランナーならば感覚的に理解できるこれらを探求することこそが私にとっての走る意義であり魅力です。つまり、メタ的な視点で「走りとは?」を論じるための実験を自分で行なっている、その実験自体を楽しんでいる感覚でしょうか。

価値観の変遷とは仮説を検証し、最もらしいと腑に落ちたときに生じるものとします。(科学とは違い再現性は無視)その意味で、私の持つ走ることの意味(一見無駄にエネルギーを消費するだけの行為を快楽と感じる遺伝子が今に至るまで残されていることは何か理由があるはず)を検討して行きたいのです。学問でいうと、生物学や、宇宙論形而上学に至るまで、走ることを媒介として思考をすることに至上の喜びを感じるのが私の現在のメタ的な価値観である。

 

赤で書いた理屈を説明しうる世界観を機会があればまた書きたいと思う。その価値観が腑に落ちたとき、私の厭世観が一つ確立されたと思ってしまった。それほどまでに今の私に影響を与えているものです。ではまた、、

 

マラソンの座学的アプローチ

ラソンと球技などのスポーツと比較すると、消耗型のスポーツであるため練習時間が少ない傾向にあります。このことから練習以外の時間をいかに有効に活用するかが練習の成果向上につながると考えられます。

基本的に何事でも費やした時間に比例して結果がついてくるものですが、マラソンにおいてそれが月間走行距離に現れるものではないと思っています。

私の場合は、生活全体を練習にベストな状態で挑めるように体調を管理し、普段から回復に努めて過ごすように意識しています。

ではどんな意識の持ちようが必要かというと生活リズムは人それぞれであり、一般論ではなく各論の世界なので答えは自ら模索する必要があります。

私は科学的に検証されたことを一般論としてある程度認めつつ、自分の経験から批判的に検討を重ねることで一つずつ仮説検証を繰り返していく方法を実践しています。

例えば、最近のスポーツ栄養学では分子生物学的なアプローチ(体内で起こる各現象のメカニズムを解明し、様々な物質が単一または組み合わされてどのようにそれらのメカニズムに作用するかを探る)を取ることが流行っている。正直それが正しいのか正しくないのかわからないが、ある程度は再現可能で客観的に示されていることは確かなのでしょう。そこで自分の体で実験し、感覚的に効力を発揮するかを確かめることを通じて各論へと落とし込んでいく。ここで提示している仮定にはなんの科学的な根拠もないが、研究者ではないので自分の利益のみを追求する段階ではこれ十分であろう。

 

現在検討している事項の一つに、

 

(糖質の少ない状態で)朝のLSD(脂肪からエネルギーを取り出す効率を上げる)→30分以内の十分な栄養補給→体調万全な状態で夕方の練習→糖質を軽く制限した夕食→朝に戻る

 

というサイクルがあります。これは東大出版のスポーツ栄養学という本に書いてありました。

スポーツ栄養学: 科学の基礎から「なぜ?」にこたえる

スポーツ栄養学: 科学の基礎から「なぜ?」にこたえる

 

自分の体質に合うかどうかを検証しつつ、一日の生活リズムをマネジメントするのにも役に立つので採用してみました。

実際に行ってみた感想

朝ごはん前のjogはボクシングの減量で有名なので採用していた時期があったので抵抗なく導入できています。一人暮らしの学生なので朝は時間があるのできちんとした食事を準備することも苦がなく、楽しめています。余談ですが最近は卵焼きの技術向上に凝っているので朝ごはんづくりに張り合いが出た楽しいです。夕方の練習時には足がむくんで疲労がたまっていることが多いので、きちんと追い込むことができないことが多く要検討事項です。ルーティン化してしまえば実行することは可能です。それが効果に現れているかどうかは比較対象がないのですが、かなり体脂肪率が落ちてきている(走行距離が伸びているので必然)のですが、最大の要因は一人暮らしで生活が乱れがちなところを締めてくれるからだと思います。

 

上記の感想からわかる通り、科学的な検証をなされたものが個人の各論に効いてくるかどうかは様々なパラメタがありやってみないとわからない側面があります。

それと同時に、結局のところ自分が心から信じられるかどうかだと思っています。腑に落ちたことが価値観となりその蓄積が人を作っていくのでその過程をマラソンにも導入しているだけです。